■ハゲの何故
先日剃髪してつるつる坊主になったので頭を洗うのもボディシャンプーでいいのだろうか、やはりシャンプーで洗うべきなのだろうかと悩んでいる衛澤です御機嫌よう。
これまでのこのページでは何度か頭髪に関わるお話をさせて頂きました。テーマを選択する際に意識した訳ではないのですが、きっと私自身、気にかかっていたのでしょう。
テストステロン(男性ホルモン)が優位になると体毛が濃くなり、頭髪が薄くなる。
……というお話を何度かさせて頂きました。日常生活の中でも頭髪の話題が幾度となく出てきて、その中で、私は改めて認識したことがあります。
世の中は、頭髪が薄い男性に対して酷薄である。
同時に、頭髪が薄い男性の中にはこれを恥じて何らかの手段で隠そうとする人がとても多い。
これはいったいどういうことなのだろうか、と私はとても気になっているのです。
頭髪が薄い状態もしくはその状態の人を、そうでない人たちは「ハゲ」と呼んで蔑みます。中には頭髪が薄くもない人に対してさえ「ハゲ」という言葉は蔑称として用いられています。
とある代議士が髪の毛ふっさふさの年若い男性秘書に「このハゲ」と罵倒を浴びせた事件はみなさんの記憶にもまだ新しいかと思います。はげていない人にまで「ハゲ」という言葉が「罵倒に使われる」ということは、この言葉には余程の蔑意が込められています。
何故、「ハゲ」には蔑意が込められるのか。
何故、頭髪が乏しいだけで蔑まれなければならないのか。
甚だ疑問なのであります。
人が、殊に男性が薄毛になるのは仕方がないことですし、何より本人の意志によるところではありません。多くの人は「はげたくない」と考えています。
それ故に近年ではAGA(Androgenetic Alopecia)、男性型脱毛症として、薄毛は治療の対象となっています。
つまり、薄毛は医療によらねば治せるものではないし、「治したい」と切実に願う人がいるということです。
医療の門が開かれる以前はかつらに頼る人がとても多かったし、かつらはかつらで、薄毛当事者はその事実が露見することを恐れながら着用しているのだという話もたびたび耳にします。
それは本人が自分の姿として薄毛を受け容れづらいというほかに、世の中から蔑まれ嗤われてしまう――社会での地位が著しく低くなってしまうという理由も多分にあるのではないでしょうか。
「ハゲ」に嗤われるいわれはありませんし、嗤うものではないでしょう。
「ハゲ」と呼ばれ得る人――薄毛の人がいわれなく蔑まれて薄毛という事実を隠すことを余儀なくされ、世の中で生きづらさを感じているとすれば、「ハゲ」を嗤うことは即ち差別です。私たちは薄毛に対する認識を改める必要があるのではないか、と思うのです。
私は薄毛を「格好悪い」と思ったことがなく、自分自身の生え際が徐々に後退しつつある現在も「はげたくない」とは考えていません。はげることで以前より格好よくなった人を知っていますし、チャームポイントとなり得ると思うので、むしろ憧れさえします。
俳優のショーン・コネリー氏は「007」シリーズにご出演の頃よりも、年令を経てはげてからの方が大変魅力が増しました。「薔薇の名前」や「プレシディオの男たち」など、貫禄や風格、色気が滲み出てうっとりするほどです。
ほか、ブルース・ウィリス氏、ジェイソン・ステイサム氏、忘れてならないユル・ブリンナー氏など、「格好いいハゲの人」は幾らもおられます。欧州では「ハゲ」は魅力のひとつと考えられていると聞きます。日本でそのように考えることは不可能なことなのでしょうか。
年令を経たら胡麻塩頭かつるつる頭になりたいなとかねてから思っていた私ですが、近年、生え際の後退が顕著になってきたところにさらに最近、頭皮に湿疹が発生したため薬を塗らなければならず、そのため剃髪しました。つるつるです。
将来の選択肢は、年令を経るごとに少なくなっていくものですが、私の頭部に関しては選択肢というものがついになくなりました。つるつる頭に確定のようです。「格好いいハゲ」になりたいものです。
などと書いた途端に、主治医から頭部の湿疹について寛解を告げられました(治癒ではない)。また暫くは剃髪しなくてもいいことになりました。胡麻塩かつるつるか、択ぶことができるようになったということです。
自分の意志で選択することができる。当たり前のことでありながら、大変有難いことです。私は御陰さまでたいていのことを自分で選択できる恵まれた状況に置かれておりますが、世の中には生活の中で「自分の意志で択ぶ」という当たり前のことが制度や社会の意識の低さのためにできない人が、とても多いです。
日常生活の中でのことを自分の意志で択ぶことが許されていない、ということは、何らかの理由で人権が侵されているということです。みなさんは人権が確保されていますか。ご自身が確保されているなら、みなさんの周囲の人はいかがでしょうか。世の中の「選択の余地」を確認してみてください。
——————————-
VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)
VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)
VOL.6 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(3)
Vol.28 悪いことしなくても
——————————————
■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/