Vol.15 猥褻は蔑まれるべきか(後編)

 手はカサカサなのに顔は脂っこいの中年おじさん衛澤です御機嫌よう。油脂分は均等に分布してほしいですね。

 

 さて、前回はエロ小説とは如何なるものかをお話しました。幾分私見に富んでおりますが、その辺りはご容赦されたいところです。
 エロ小説は猥褻である。
 では猥褻であることは蔑まれるべきことなのか。これを今回は考えてみましょう、というのが前回から今回への引き継ぎでした。

 では、ここからが今回の話題です。先ず「猥褻である」とはどういうことなのかを見てみましょう。

「猥褻である」とはどういうことかと辞書を引いてみますと、このように書かれています。
1)みだらなこと。いやらしいこと。また、そのさま。
2)法律で、いたずらに人の性欲を刺激し、正常な羞恥心を害して、善良な性的道徳観念に反すること。
(小学館「デジタル大辞泉」から引用)

 確かにエロ小説とはこの意味で猥褻であるように書くものです。「正常な」羞恥心や「善良な」性的道徳観念というものがいったいどういうものであるのか、私にはよく判りませんが、「羞恥心」や「性的観念」を揺さぶるものを、刺激するものを目指して書くというのは確かにそうだと思います。

 何故なら、そうすることが読者を性的に昂奮させる要素を生み出すからです。エロ小説の読者は淫らでいやらしいものに触れたくて、性的昂奮を得たくてエロ小説を読むのです。そのニーズにお応えすることがエロ小説を書く者の仕事のひとつです。
 いたずらに人の性欲を刺激することも羞恥心や性的観念に刺激を及ぼすことも、性的昂奮に繋がる要素ですから、当然そのようにします。読者が読みたいものを提供する。それが作家の仕事です。

 エロ、またエロに関わるものは、猥褻です。猥褻であるようにつくるのですから、猥褻であるべきなのです。しかし、猥褻であることは蔑まれねばならないことでしょうか。卑しいことなのでしょうか。
 これを訊ねると「当たり前だろう」と嗤われることがほとんどなのですが、その理由を訊ねても確たる答えが返ってきたことがありません。よしんば言葉の体裁を伴ったものが返ってきたとしても、画一的なものです。

 世界中の宗教で戒められているから?
 法律で規制されているから?
 生産性がないから?
 犯罪である、或るいは犯罪に著しく近いから? 
 社会の秩序を乱すから?
 どれも違うような気がします。

 私は猥褻が卑しいことだと思ったことがなく、またそのように唱える人が答えるその理由に納得できた試しがありません。猥褻であることが即ち卑しいことであるなら、それはそれで仕方がないことです。
 しかし、そうであるとする「納得できる」理由に出会わないので、もやもやしています。私を納得させてくださる人がもしおられたら、もやもやせずに済みます。それはとてもうれしいことであります。ぜひ納得させてください。

 しかし猥褻であることが即ち卑しいということが確かであったとしても、「卑しい」ということと「蔑まれて然り」ということは、また別のことであるように思うのです。
 猥褻が蔑まれて然りであるとされることの所以、つまりはエロ小説及びそれを書く者が蔑まれねばならない理由は、まだまだ遠いところにありそうです。

 私は今後も機会を見てゲイ向けエロ小説を書くでしょう。それを理由に私を蔑む人も現れるかもしれません。しかし私はいつだって矜りを持って、エロもエロでないものも書いておりますし、これからもそうするでしょう。ゲイ向けエロ小説はその売り上げで私の性別移行を支えてくれた大切な存在でもあります。
 さらに言えば、ゲイ向けエロ小説を読みたい人たちが、私に性別適合手術を受けさせてくだすったようなものです。金銭を支払っても読みたいと思ってくださる人たちが大勢存在するのです。それは、多くの人たちが卑しく蔑まれて然りとしているものに、財を積むだけの価値を見る人たちがいるのだということです。

 多くの人が共通して持っている価値観は絶対ではない、ということの証左であると言えないでしょうか。或るものごとについて価値なきものと考えている人は、それについていま一度、視点を変えて、角度を変えて、見直してみては如何でしょう。
 当然と思っていたことが実は当然ではないかもしれません。価値なきものと見ていたものに価値を見出すことができたら、こんな言い方は全然気が利きませんが、お得と言えましょう。
 お得が厭な人は、おりませんよね。みなさん得してください。エロを見直してください。

 もうひとつ言わせて頂けば、猥褻は大切なものです。ワイセツはタイセツです。憶えておいてください。

〈了〉

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Vol.1 はじめまして!

Vol.2 今回はちょっと長めに「わかやま愛ダホ!」

VOL.3 子宮の中の……?

VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)

VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)

VOL.6 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(3)

VOL.7 話しに参ります 

Vol.8 人権と愛と年越し

Vol.9 「誰もが」愉しい?

Vol.10 冬の日に毛の話を。

Vol.11 強く推したい勧めたい

Vol.12 時代の歌にleft alone(前編)

Vol.13 時代の歌にleft alone(後編)

Vol.14 猥褻は蔑まれるべきか(前編)

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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/