VOL.2 今回はちょっと長めに「わかやま愛ダホ!」
洗濯ものは乾かないのにウェットティッシュは乾いてしまう部屋に住んでいる衛澤です御機嫌よう。
6月に入りまして、随分暑くなって参りました。おまけに梅雨が近付いてきて湿気も強いしお天気も不安定です。気圧に大きく影響されがちな人などは体調を整えるのも大変かと拝察致します。健康に自信がある方もない方も、どちらさまも御身御大切にお願いします。よ。
さて、前回は「性的少数者」を表す語について、簡単にお話しました。心身の性が一致していてかつ異性愛(シスジェンダーかつヘテロセクシュアル=シスへテロ)以外の、現代日本のシスヘテロ中心社会では何かと難を抱える人たちをどう呼ぶか、というお話です。沢山の種類のいろんなセクシュアリティの人がいて一概には表しづらいとお話ししましたが、ではそれ以外の人、シスへテロの人たちはどうなのでしょう。シスへテロにはセクシュアリティについての問題や難はまったく関係がないでしょうか。
いえいえ、決してそうではありません。
シスへテロの人の方が実は性的少数者、ということを前回ちらりと言いました。そうです。シスへテロの人もセクシュアリティに関わることの当事者です。シスヘテロの人にとってもセクシュアリティの問題というのは「ほかの誰かの問題」では決してないのです。
しかし、これに気付いていないシスへテロの人は、実に大勢います。セクシュアリティのことなんて「普通じゃない奴等の問題であって、自分には関係がない」と思っている人が、「シスへテロが当たり前、それ以外は異常」と思い込んでいることの異常性を知らない人が、とてもとても多い。
セクシュアリティに「異常」などありません。異常だとか普通じゃないだとか言うのはそのことについてよく知らないからです。セクシュアリティに関わることに限りませんが、よく知らない、判っていない人ほどそのことについて「おかしい」だの「異常」だのと言って叩きたがります。おそらく、よく知らないので怖いのでしょう。怖いから攻撃してしまうのでしょう。
恋愛や性愛の相手が自分の性と同じ(性指向が同性)であることが、或るいは、自分が認識する性(性自認)と身体の性が不一致であることが、それぞれ自分では択べないことであるように、シスへテロの人だって恋愛・性愛の相手が自分とは異なる性(性指向が異性)であることを自分で択び取った訳ではないはずです。身体と同じ性であることを択んで性自認を決めたのではないはずです。
シスジェンダーもトランスジェンダーも、ヘテロセクシュアルもホモセクシュアルも、(勿論そのほかのセクシュアリティも)等しく「多様な性」のひとつです。どれが異常どれが正しいということはありません。
してみれば、「性的少数者」だとか「LGBT」だとかいう言葉で分けてしまうということは、シスへテロを仲間外れにしてしまう、よろしくないことなのかもしれません。性は多様であり、どの性も「あり」であり「OK」であり「yes」です。
その「多様な性があって然り」をアピールするイベントが先月、私の地元で催されました。「わかやま愛ダホ!」です。私も参加してきました。
「愛ダホ!」はもともとは「IDAHO」と言いまして、「International Day Against Homophobia and transphobia」の頭文字を取った言葉です。日本語で言いますと「同性愛嫌悪とトランス嫌悪に反対する国際デー」ですね。5月17日です。この日は世界各国各地でイベントが催されます。
1990年5月17日、国連WHO(世界保健機構)の精神疾患のリストから同性愛が削除されました。「同性愛は病気じゃないよ」と、つまり異常ではないよと世界的に認められたのです。これを記念して定められたのが「IDAHO」です。
日本では「嫌悪に反対する」というよりも、もう少しポジティヴな意味合いの「多様な性にYESの日」として2014年に日本記念日協会に認定されました。「IDAHO」も日本では「やっぱ愛ダホ!」と愉しい感じの言葉でキャンペーンされておりまして、毎年5月17日前後の日には各地でイベントが開催されています。
(「やっぱ愛ダホ!」について詳しくはこちら→「やっぱ愛ダホ! idaho-net.」)
私の地元、和歌山市では昨年2015年から「わかやま愛ダホ!」として催されるようになりました。JR和歌山駅正面玄関前でプラカードを使って性の多様性をアピールしたり、性的少数者のメッセージを拡声器で読み上げたりなどのパフォーマンスをします。
和歌山県のうち、和歌山市は割りと都会の方なのですが、それでも市民の性的少数者に対する意識というのはまったく以て高くなく、だから知識も乏しいです。性的少数者の割合はだいたい人口の5%程度と言われています(7.6%という調査結果もありますが、この数字は少々大きすぎで実態とは乖離していると見られています)。学校なら各学級に1人か2人、職員室にだって同じくらい、ほぼ確実にいるということです。街を歩けば当たり前に擦れ違っているだろう存在です。
しかし和歌山市の人々は「和歌山みたいな田舎にはそんなめずらしい人がいる訳がない」とか「この世の何処かにはいるらしいが自分の周囲にはいない」というような意識を持っているらしく、「私がそうです」などと言うと大変に驚いてくださいます。3月にはじめて和歌山県議会で性的少数者について話されたのですが、そのときも「和歌山に(性的少数者の)当事者はいるのか」という議員の疑問に、県の部署が調査した結果(当事者は実際にいて、県の機関に相談に来る人もいましたよ、ということなど)を報告することからはじまるような有様でした。
こんな街ですから、性的少数者自身が街頭に姿を現す催しはとても大事です。「ほんとにいるんだよ」と口頭で申し上げるよりも実際に姿を見て頂いた方が話は早い。伝聞するより来て見てさわって口を聞いて貰えれば、実在を実感して貰えるのではないか。そんな風に私は思っています。駅前に立って市民のみなさんに向けてパフォーマンスする「わかやま愛ダホ!」はその重要な機会です。
それだけに、目立たねばなりません。目立つことによって「あれは何だ?」と注意を向けて貰い、また多少おバカさんな恰好や振る舞いをすることでご通行のみなさんに油断して頂く(「怖くないよ」と訴える)必要があります。
それを踏まえた当日の私がこれです。
駅前では声で性の多様性を訴えたり、メッセージを伝えたりもしましたが、もしもそれを耳に拾わなかったとしても、駅前を通った人は私の姿を見たはずです。日常の風景の中に浮き立つ虹色のおじさんの姿を。
そうして、後々のいつにでも「そういえば駅前に虹色の変な恰好で変な動きの人がいたなあ」と思い出して貰えれば、その人はいつか出会う6色のレインボーとその意味の前に、私(や一緒に活動した人たち)が駅前に立っていた意味や理由を悟るでしょう。そして少しは性的少数者のことを考え、次に性的少数者やレインボーに関する何かを見聞きしたときにはほんの僅かにでも興味を持ってそれに触れるのではないでしょうか。
私は、自分がやっていることが直ぐに花開くとか実を結ぶとは、思っていません。しかしまったく意味のないものとも思ってはいなくて、じわじわ、後になって効いてくるんじゃないかな、と期待しています。三年殺しですね。ロシアのサンボの裏技です。
いないと思っていたものをいると気付いて貰うことも、それまで刷り込まれた偏見を改めて貰うことも、その人が何十年か信じ続けたその人の常識を覆すという大変な仕事です。働きかける方も大変ですが、自分の意識を変える方はもっと大変です。信じ続けたものが覆されるというのはとても怖いことです。それをするのですから。
だから、いまやれ直ぐやれと急激な変化を求めるのではなく、時間をかけることが必要だと私は思っています。焦っても功はありません。なればこそお願いしたい、次代の人たちによろしく哀愁もしくはメカドック。
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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/