■昔、若いとき
即席ラーメンをゆでておきながらゆで汁を捨てて、別に買っておいた粉末ソースを絡めて焼きそばとして食べることがある衛澤です御機嫌よう。
さて私、ここ数年のうちに、30代くらいの若人が「自分も若い頃にそんなことを……」という話し振りを見せる場面に幾たびか出くわしております。そのときの気持ちというのは、あの、あれです。あのときと似ているのです。
4~5歳のお子さんが「おれ昔それやったことある 」というようなことを口走っている場面に居合わせたとき。 「きみの『昔』ってどれだけ前のことやねん」と内心で突っ込みつつ「たはは」と「た行+は行」で笑ってしまう状況。類似の笑い方に「てへへ」や「とほほ」があります。
そのお子さんの「昔」は、4~5年よりも以前では、おそらくあり得ません。4~5年前なんて40代も半ばを過ぎた私から見れば10分前くらいの感覚の、「つい先刻」です。
たかだか30代の人が「自分も若い頃に……」などと言っている場に居合わせると、このときと似た気持ちになるのです。「若い頃て、あなたいま若いやんけ」と。
4~5歳のお子さんも「若い頃」を話す30代の人も、随分年を食ったつもりでいるのでしょうなあ。40代後半のおじさん(私)から見るとどちらも似たり寄ったりで、ご幼少の方々がえらく背伸びをしているように感じるのであります。
だから私は、「おじさんも若い頃はね」なんてことは言わないようにしています。昔話というものは大抵、年少の人たちにとっては話し手の「思い出補正」がかかったおもしろくない話にしかなり得ないし、40代の私がこれを言うのを聞いた60代や70代やそれ以上の人たちはきっと「お子さまが何を年寄りぶってるねん」と思うでしょうから。思われるのは別に構わないのですが、思う方は何だか気持ちがかゆいでしょう。それは気の毒です。
そんな風なことを思う延長線上で、ピチピチに若い訳でもないけれどヨボヨボの年寄りとも言い難い、そこそこの年令になった私が考えるのは、「もう若くない」という年令なんてないのだ、ということです。
今後の人生において最も若い瞬間というのは「いま」なのです。いまよりも後は、いまこの瞬間の自分よりも年寄りです。だから何か新しいことをはじめてみたいなと思ったら、「新しいことに挑戦するには年を取り過ぎた」などと呟いている暇などないのです。いま直ぐにはじめないとどんどん年を取ってしまうのです。
何かをはじめるのなら、今後の人生において最も若いいまこの瞬間からはじめましょう。迷っている暇も迷う必要もありません。「遅すぎる」ことなんてないのです。60歳からマラソンをはじめて30年のキャリアを重ね、マスターズで優勝したというランナーも実在すると聞きます。30年も続ければベテランです。暦が一周して赤ん坊に還るほどの年月を重ねた後にはじめて触れたものでも、そこから熟練することは可能なのです。
いつだっていまが一番若いし、いまこそ出発点です。さあ、何かをはじめましょう。
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VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)
VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)
VOL.6 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(3)
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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/