■長い短い
一日着るとシャツがおっさんくさくなるという本格的なおじさんになった衛澤です御機嫌よう。
すっかり秋となりました。みなさま秋を満喫しておられますでしょうか。
大変季候がよろしいので、行楽に出掛けたり、本を読んだり、スポーツにいそしんだり、みなさんそれぞれなさっておられるのではないかと拝察致します。
私も毎年この季節には、夏の間中は暑くてできなかったこと、積ん読本の消化ですとか止まっていた原稿の書き足しですとか取り組んでみるのですが、この何年かはそういったことは遂げられませんで、大抵中途で寝落ちしてしまい、眠って眠って気がつけば冬の入口だったりしています。
涼しくなると寝やすいし、寝ると気持ちいいよね。
今年こそは寝落ちしないように読んだり書いたりしたいと思っております。
さて、読んだり書いたりといえば、最近、インターネットの上で拝読する文章のおしまいに「随分長くなってしまった」と書いてあるものに、割りと頻繁に出会います。それに出会うたびに私は「えっ」と実際に発音してしまうこともたびたびです。そうおしまいに書かれている文章は、大抵私から見てまったく長くはない、むしろ短文であることがほとんどなのです。
これはおそらく、私が書くものが如何に長すぎるかということの証左でありましょう。
いまを去ること30と数年前、文章の練習をはじめた頃の私は、長編小説を書くことを目的に練習していました。400字詰原稿用紙300枚とか500枚とか、いま風に言いますと12000字とか200000字とかですね、そういった原稿を書くことを念頭に練習しておりまして、実際に書き上げたものもやはりそれくらいの長さでありました。紙幅をいっぱいに使って細かく書く、多くを取り上げて書くというくせがついております。
それ故長い文章を書きがちで、この「ちょっとええやん」でも長すぎて前後編に分割しての掲載をお願いすることになったりもしておりました。実はこれでも何とか短く書こうとしているのであります。
しかし、インターネットの時代、長い文章は敬遠されるのですね。何しろ400字詰2枚にもなりますと「長すぎる。3行でまとめろ」などとコメントがつけられてしまう時代です。
そこで私も反省しまして、さらに短いものが書けるように練習してはおりますが、別所で頂いた「2500字以上」という条件のご依頼に20000字越えの原稿を書いてしまったりもしています。このときばかりは自分でも「もっと短く書けんのか」と思いました。でも納品先さまにはお誉め頂いたので、ちょっといい気になりました。
短く書けるようにならねばと練習をする一方で、いままで拝読したインターネット上の記事たちが「長くなってしまった」ものなら、私は一生「短いもの」は書けないのではないか、と思ったりもしております。
私の場合、「書きたいこと」ではなく「書かなければならないこと」を洩らさず書いた時点で既に「長く」なっています。この時点で既に「長い」ので「書きたいこと」をさらに書くゆとりなどないではありませんか。
自分が「書きたいこと」を書かずして「自分の文章」であるとは言うべくもないのではないか、それならば「私が」「書く」ことに意味などないのではないか。
そのように考えますと「衛澤不要論」がここに俄かに立つものであります。
正直に申し上げますと「長くなってしまった」と書いてあるような文章は、読み手としての私には大抵「随分食い足りない」のであります。もっとあんなことやこんなことも挿入しておもしろく書いてほしい、などと思うことが常なのです。
もともとの手癖に加えてそんな気持ちもあって、私はいまだに短文を書くことができずにいるのでした。
と、ここまででだいたい1600字です。私にしては短くまとまった方です。お読みのみなさまのご感想はいかがでしょうか。
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VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)
VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)
VOL.6 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(3)
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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/