■罵詈罵詈だ

 暖かかった頃に腕が痛くて湿布を貼り続けていたら湿布のかたちに日焼けした上に湿布のかたちに脱毛されてしまった衛澤です。御機嫌よう。
 夏の爪痕が年を越してもなお残る、冬。

 それでなくともお寒い時期にダウナーな話題で恐縮ですが、私、悪口が苦手です。

 得意な人もいないかとは思いますが、大好きな人というのは確かにいるものです。「人の不幸は蜜の味」という、誰が言い出したか判りませんが有名な言葉を地で行く感じの。私の身近にも数人います。

 そういった人たちを非難するつもりは毛頭ありません。誰かを悪く言うことで何らかの安心感を得られるという人もいるのでしょうし、他者への悪口があってこそ日々を挫けずに過ごせているという人もおられましょう。それ等の人たちには悪口雑言が生きるに必須なのでしょう。
 その一方で、誰かが悪く言われているのを聞くとしんどくなってしまう、という人もいます。私もその一人です。

 たとえ冗談であっても冗談だと予め判っていても、誰かが悪く言われるのはつらいのです。その言われ方や頻度によっては体調を崩して動けなくなることもあります。悪く言われるのが自分ではなく他者であっても、つらさに変わりはないのです。
 言われる人も気の毒ですが、言う人はさらに気の毒です。誰かを悪く言ってしまう・言わずにおれない心理状態やその人が置かれた状況・環境などを思うと、苦しくてならないのです。

 その状況・環境に至る理由が、悪口罵詈を口にする人にもあるはずです。彼が彼女がそこに辿りつかざるを得なかったことが、悲しいのです。

 自分が悪く言われることのつらさは、どなたにも想像に易いでしょう。自分に非があってもなくても、自分への悪罵が痛くも苦しくもない人は稀れでしょう。私の場合はその痛さ苦しさが、悪く言われているのが自分ではなくても実感されてしまうのです。

 会合で、街角で、放送で。それ等は聞くともなく耳に入ってきます。言う人、言われる人。両者の気持ちがその場で推し量られてしまうので、悪口を聞くのはつらいのです。言われる対象がもし人ではなく作品やサービスであったとしても、やはり同じようにしんどいです。

 他者への悪口揶揄は社会のコミュニケーションツールである、という側面も確かにあって、共通の敵=悪口揶揄の対象を設定することで、仲間としての結束を固めるという有用な一面もあると言います。しかし私はそれを使うに至らないのでした。使おうとすると心身の具合いが悪くなってしまうので。

 コミュニケーションツールを巧く使うことができないという機能障碍があるがためか、私は勤め人が務まらなくて、現在フリーランスとして生活しております。取り敢えず生存しています。多少、人としての機能が欠けていても、何とか生きてはいられるものなのですね。

 

 
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Vol.1 はじめまして!

Vol.2 今回はちょっと長めに「わかやま愛ダホ!」

VOL.3 子宮の中の……?

VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)

VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)

VOL.6 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(3)

VOL.7 話しに参ります 

Vol.8 人権と愛と年越し

Vol.9 「誰もが」愉しい?

Vol.10 冬の日に毛の話を。

Vol.11 強く推したい勧めたい

Vol.12 時代の歌にleft alone(前編)

Vol.13 時代の歌にleft alone(後編)

Vol.14 猥褻は蔑まれるべきか(前編)

Vol.15 猥褻は蔑まれるべきか(後編)

Vol.16 「何もしない」というお手伝い

Vol.17 虹の祭りに

Vol.18 長い短い

Vol.19 昔、若い時

Vol.20 情報はトリミングされている

■Just melted nazo

 

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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/