■情報はトリミングされている
理髪店のメニューにいつの間にか「伸びすぎた眉毛カットと耳毛剃り」が加わっていた衛澤です御機嫌よう。お願いしなくてもやってくれます。
さて、年末です。みなさま本年のまとめなり始末なりはお済みでしょうか。そろそろ新年の支度に取りかかっている人もおられるのでしょうか。私の本年は昨年同様、光の速さで過ぎ去ろうとしています。クリスマスの準備をする暇もなく年が明けそうです。
そのような「あっ」と言う間もない一年の中にも事件はやはりあるものでして、今年は情報の曖昧さに左右されがちな年でした。
私はTwitterのアカウントを持っておりまして、そこではものすごくテキトーなひとりごとを散発しております。「コミュニケーションツール」としては使用するつもりはまったくなく、「tweet」という言葉が表すものの通り、ただひとりでさえずるだけです。
なるだけ意味がないことを言おうと気を付けているのですが(意味があることを言いたくないのです)、意味のない発言に意味を見出してしまったり、意味がないものをつぎはぎして意味がありそうな何かをつくり出してしまう、という人も、世の中には存在するのです。
そういった次第で、なかったはずの意味によってときどきお叱りを受けてしまうこともあります。しかし、そのような人たちも、私のtweet原文をご覧になると文句を取り下げたりそれ以上言わなくなったりします。自分たちが把握した情報と一次情報とが異なるものである、ということが判るからでしょう。
情報は自分の目や耳に届くまでの間に何らかのかたちでトリミングされている、ということを失念しますと、この人たちのように何の意味もないものに憤って叱らねばならなくなったりするのです。
このような一件があったちょうどその頃くらいかと思いますが、web上にこのような記事(※)が掲載されました。
この記事によりますと、web記事のタイトルだけを見て、リンクされているもと記事は読まないままで、記事について何やら意見を述べる人が過半を占めている、とのことです。よく判っていない人がしたり顔でコメントするのですね。そのコメントが正鵠を射ていることはほぼないでしょう。ことの顛末が判っていないのですから。
この引用記事のような人たちは、自分で勝手に情報をトリミングしてしまい、その上でコメントしているということです。トリミングした情報へのコメントがまた新たに情報として発信されて、それがまたトリミングされて……という風に伝わっていき、終いにはもとの情報の片鱗もない、ということも、おそらく何処かしらで起こっているのでしょう。
web上のものは特にそうなのですが、情報というものは自分に伝わった時点で既に何者かによってトリミングされていて、手許に届いた情報は全体のごく一部分、氷山の一角でしかないことも往々にしてあります。氷山について発言するのなら氷山の全容を知ってからにしなければ、的外れなことを言ってしまう羽目にもなります。
情報に触れたら、その一時情報に当たること。これはとても大切です。何かコメントするのであれば一次情報を探し出してからでも遅くはないし、たとえ遅くともそうするべきでしょう。
ICTが発達した今日だからこそ、不確かな情報によって不確かな情報を発信してしまわないように、気を付けなければなりませんね。
■このような記事
J-CASTニュース
「記事読まずにコメント6割 「タイトルだけで反応」のネット民」
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VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)
VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)
VOL.6 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(3)
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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/