Vol.16 「何もしない」というお手伝い

 

 ドライアイがひどくて1時間に1回は目薬をさす衛澤です御機嫌よう。

 私がお世話になっている精神科の医師は、全盲ですが眼鏡をかけています。何のために、と思う人も多いでしょう。
 眼鏡は見え方が弱い人の視力を補助する医療器具ですから、まったく見えていない人が着けても無意味なものです。

 しかし、何もしていないように思われる主治医の眼鏡も、実は大切な役割を負っています。見えないが故に、たとえば木の枝だとか、暖簾の端っこだとか、見えていれば回避できるかもしれない「眼球を傷つけるもの」が目の中に飛び込んでくることもあります。眼鏡はそういったものから目を守っているのです。
 見えない目だからといって、傷ついてもいいということなどありません。見えなくても、大切な身体の一部です。守る必要があります。

 このように、何の役にも立っていないようでいて、実はきちんと役割を担っているものというのは、少なくありません。

 さて、私は数箇月に一度、旧友たちと会合を持っております。会合は数年前までは大抵調理会として開かれておりました。毎回テーマを決めて、皆で料理をつくってそれを食すのです。

 この連載をお読みの方の大部分はご承知のことと思いますが、私は学生時代を女性として過ごしましたので、現在まで交流のある同級の友人はほとんどが女性です。そして、私がそうであるように旧友たちも並べていいトシでありますので、家人の世話などに長けてきております。私はまったくの一人者の一人暮らしですが、旧友たちは誰かしらと同居しています。

 こういうときに、普段の生活が出るのですな。

 台所仕事というのは、段取りがものを言います。段取りを把握している者が機先を制します。歴戦の猛者たちは「台所仕事をする者の共通認識」のようなものがあるらしく、互いに言葉を交わすこともないままに作業分担をして、どんどん調理を進めていきます。
 台所というものは大抵狭いものです。身体が大きくてもたもた動かない者がいては非常に邪魔になります。そういう者が勝手も判らないで手伝おうとしても、余計な仕事を増やすだけです。

 ということくらいは私にも判りますので、私は調理会では台所に立ち入らないことにしています。「調理に加わらない」というのが、調理会においての私の最大の手伝いなのです。よかれと思ってやったことも往々にして「要らんこと」となり得ることを、私は経験で知っています。「余計なことすんなや」と苛立ちながら口に出せなかった経験は、別の分野では私にもあるのです。

 かくして私は世のお父さん方と同様に「戦争のような台所で猛烈に忙しく働いている人がいることを明らかに知りながら台所の外でぼんやり調理が終わるのを待つ」おじさんとなるのでした。

 世の中のお母さんやそのほかの調理をするさまざまな人たちの中には、台所の外で何もしないお父さんに「暇なくせに何ひとつ手伝わない」と不平を鳴らす御仁も多うございますが、お父さん(の大部分)は「何もしない」というお手伝いをしているのです。察してあげてください。

 そして何かさせたかったら「手伝ってよ!」ではなく、「皿洗え」とか「キャベツ切れ」とか、具体的に指示をしてください。「そこまで言わなきゃ判んないの?!」と憤慨なさる御仁もときどき見かけますが、お父さん方はみなさんが思うよりもずっと経験値も台所スキルも低く、「そこまで言わなきゃ判んない」のです。
 だから、せめて「勝手に手伝って余計な仕事を増やすよりは何もしないでおこう」という選択をしてしまいがちなのです。

 このように、何もしていないように思われる「台所の外のおじさん」も、「邪魔をしない」という役割を担って「何もしないというお手伝い」をしています。
 全盲の人の眼鏡然り、台所の外のおじさん然り、何ら意味がないように見えて大抵のものは何らかの役割を負っているものなのですね。「何のために」と思う場面に出会ったら、もう少し踏み込んで考えてみると、無意味の意味が見えてくるかもしれません。

 そんな世界の中にあって、純粋に、「まったく何の意味もない存在」となることを目指しているのが私であります。
 誰の毒にも薬にもならない、誰にとってもどーでもいい、真に意味のない存在。社会の歯車のひとつではあるものの、社会という機械のどの歯車にも噛み合っていなくて、社会の片隅でひとりくるくるまわっているような、そんな存在で、私はありたい。
 
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Vol.1 はじめまして!

Vol.2 今回はちょっと長めに「わかやま愛ダホ!」

VOL.3 子宮の中の……?

VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)

VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)

VOL.6 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(3)

VOL.7 話しに参ります 

Vol.8 人権と愛と年越し

Vol.9 「誰もが」愉しい?

Vol.10 冬の日に毛の話を。

Vol.11 強く推したい勧めたい

Vol.12 時代の歌にleft alone(前編)

Vol.13 時代の歌にleft alone(後編)

Vol.14 猥褻は蔑まれるべきか(前編)

Vol.15 猥褻は蔑まれるべきか(後編)

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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/