Vol.10 冬の日に毛の話を。
昨年はまったく「身体を動かす」ということができなかったので今年は少しずつでも毎日運動しよう!と柔軟体操など基本的なことを少しやってみたら翌日カクカクとした人形みたいな不自然な動きしかできなくなった衛澤です御機嫌よう
2月ですね。2月ともなれば、恵方巻きを食べねばならなかったり、チョコレートを食べねばならなかったり。寒いながらも何かとハイカロリーな月です。
それとは何の関係もなく、今月は毛の話など申し上げようかと思います。
予め申し上げておきますが、本稿は「私に起こった変化」を述べております。誰にも等しく同じ変化が起こるわけではなく、個人差・個体差があることを念頭に置いておいてください。
さて、改めて申し上げますと私は性同一性障碍で、その治療として20年ほど性ホルモン剤を摂取しています。テストステロン——男性ホルモンです。初期の摂取量は現在に比べて5分の1程度の僅かな量だったのですが、それでも身体に現れる変化は大きなものでした。中でも目に見える大きな変化は、発毛です。体毛が増えます。
経験して知ったのですが、体毛の変化には4通りあります。先ず生えていなかったところに生えてきます。それから、既に生えているものの長さの変化、同じく範囲の変化、密度の変化があります(順不同)。新たな発毛と、いまあるものが長く伸びる場合と、生えている面積が増える(これも新たな発毛ではある)場合と、単位面積当たりの本数が増える(これも以下略)場合があるのです。これ等の変化が身体の部位によって、単体で現れたり複数が同時に現れたりします。
生えていなかったところに生えてきたのは、手の甲や足の甲、上腕、脛毛、胸毛などです。最初は産毛のようなか細い毛がちょろちょろっと生えるだけで、光に透かすなどしてよーく見ないと判らない程度にしか生えませんが、性ホルモン剤の摂取を長く続けていると生えた毛は次第に成長して、太く目に見える毛になってきます。しかし、目には見えても鏡や写真にはうつらないという程度の濃さが暫く続きます。
長くなる場合。既に生えている体毛が、毛髪のように長く伸びてきます。手指の甲側に生える毛や同じく足指の毛、乳輪に生える毛、腋毛などです。特に乳輪の毛——乳毛はいまや最長のものは5cm超あります。長い。腋毛以外は生え方はまばらですが、長いです。
腋毛は長くなると同時に密度も濃くなりました。身体や衣服などと擦れることが多いので、髪の毛のように時間をかければかけただけ長くなる訳ではありませんが、入浴時などに「長くなってきたなー」と思うくらいには長くなります。
範囲の変化。前腕の毛や脛毛(膝から下)、陰毛などにこの変化が起きます。特に陰毛の発毛展開は驚異的です。
陰毛は、身体前面は腹の方まで範囲が広がるし、背面は尻の辺りまで発毛します。太腿の内側などという女性であればおよそ毛が生えないような部分にも生えてきます。更には長くもなり密度も濃くなり、毛質も幾らか硬くなったような気がします。洗うときにはボディソープよりもシャンプーを使ったほうがいいのかしら、と考えてしまうくらいの毛量の増加です。このために、私は意識的に生活の一部を変えねばなりませんでした。
それまで私は、ジーパン——デニム地のパンツ愛好者でした。誰がはいても無難なボトムス。そして特に高額でもなく、しかし丈夫。実用的で、御洒落でもなくものぐさな私に適した衣類でした。流石は作業着出身。
しかしこれを着けることを諦めざるを得なくなったのです。
ジーパンのスタイルにはさまざまありますが、その種類の主な違いは「脚が入る部分」のかたちであって、股上の部分はだいたいどれも同じです。割りと身体にぴったりしていて、生地は硬い。その身体にぴったりの硬い生地が、増えて硬くなった毛を身体に押しつけるように作用しまして、1日仕事をして帰宅後に入浴すると陰部にひりひりと湯がしみる、ということが起こるようになったのです。
ぴったりデニムに押しつけられた硬めで沢山の陰毛がデリケートゾーンに擦れて擦過傷のようになって、痛みを発する訳です。
デリケートゾーンの痛みというのは、些細なものでも耐え難いものであります。痛みは入浴時が顕著ですが、日中の仕事の最中も「痛いなー」と思い続ける状態が続きますし、排尿時にも場合によっては身体が飛び上がりそうな痛みが発生することもありました。
当初は何故そんな部位が痛むのかが判らず、婦人科で診て貰うべきかなどと考えたのですが(当時の私はまだ法律上女性でした)、「陰毛が増えたな」という実感もありましたので、もしやと思って着用下衣を変えてみたのです。確か、寸法緩めのチノパンにしたのだったと思います。
そうすると、痛まなくなったのです。だから原因は間違いなく陰毛の変化でしょう。
以来20年、私はジーパンをはいていません。デザインやサイズを工夫すれば痛くなくはけるのかもしれませんが、さほどデニム大好きという訳でもないし、現在はチノ素材のカーゴパンツなどを好んで着用しておりますので、不自由はありません。
さても性ホルモン剤による身体の変化とはげに怖ろしき、と実感した一件でした。これに比べれば髭や脛毛の発毛なんてたいした事件ではない……と私は思います。
私のような男性体への移行を望む者の多くが切望するのが髭・脛毛なのですが、これは少量の性ホルモン剤ではなかなか生えてきません。生えても産毛の親分くらいのものがまばらに程度です。
現在の私は髭も脛毛もネイティヴ男性(生まれついての一般男性)よりもちょっと薄めかな、くらいの発毛を得ておりますが、これは現在、性ホルモン剤による治療でお世話になっている病院で摂取量の調整をして貰い、身体に見合った量の摂取を数年続けたからです。当初の少量では得られなかった。いまでも脛毛はさほど密ではないし、髭も口の上と顎の中央にしか生えていません。
私は髭への憧れがずっと強くて、ほんとうはラウンド髭(口の周りを囲むように生やす髭。例:佐々木健介氏)やフルフェイス髭(ラウンド髭+もみあげから顎にかけての髭。例:山田ルイ53世氏)を生やしたいのですが、口の脇やもみあげから顎にかけての部分にはまともに生えないので(不揃いに粗く生える)、現在のかたちにとどまっています。
このように、男性ホルモン増加によって身体中に毛が増えるのですが、一箇所だけ、男性ホルモンの作用によって毛が減る部位があります。
頭部です。
毛髪は、男性ホルモンが育むものではないそうです。むしろ阻害している。私はもともとやたら毛髪が多すぎる子供だったので多少減っても特に変わりはないし、女性をやっていた頃からやけに抜け毛が多かったのですが、それでもさして薄くはなったことがありません。しかし現在は、毛髪の隙間から頭皮の存在を窺える程度に生え方が粗くなってきております。やがては禿げてしまうかもしれません。
私は禿頭も好きですので禿げても一向に困りませんが、禿げるのは厭という人は多くて、毛の問題は「体毛はほしいが毛髪も惜しい」というトランス男性(トランスジェンダーの男性。出生時の身体の性別が女性で、男性へと性別移行する・した人)の悩みの種になっているようです。
禿頭って男性性とか男の色気とか、そういったものを端的に表していて恰好いいと私は思うんですけどねえ。ユル・ブリンナーさんとかショーン・コネリーさんとか、竹中直人さんとか、恰好いいでしょう?
あとですね、これも経験して知ったことなのですが、性ホルモン剤によって、毛髪の生え際(額)のかたちが変わります。
みなさんは、額の髪の生え際のかたちが男性と女性とで異なることをご存じでしょうか。似ているけれど、違うのです。女性が男装した上でリーゼントやら総髪やらの男性の髪型をしても、あまり男性っぽく見えないのはこのためです。
私の髪の生え際はもとは女性型の、くるっとまるいかたちだったのですが、「前頭部が何となく薄くなってきたな」と思って鏡を見てみたところ、両脇に剃り込みが深く入ったかたちの、M字型の生え際に変わっていました。意識していなかったので、いつ頃からどのように変化していたのかは判りませんが、性ホルモン剤はこんなところまで変えてしまうのだなと感心したものです。
毛という例だけを取ってみてもこれほど左様に大きな変化をもたらす薬剤ですから、性ホルモン剤というものは安易に摂取していいものでは決してありません。一説には、思春期の少年少女の身体に第二次性徴という著しい変化をもたらす性ホルモンの量は、たった切手1枚分の重さだと言います。微量で大変な変化が起きます。その変化は、望ましいものだけではありません。起こってほしくないことも起こります。
本稿をお読みのみなさんの中には、身体の変化を望むトランスジェンダーや性同一性障碍の人もおられるでしょう。しかし、どれほど渇望されても自己判断のみで性ホルモン剤の摂取には及ばぬように気を付けてください。
摂取を望む人はいま一度歩みを止めて熟考の上、そして信頼できる医師に相談の上、性ホルモン剤による治療を行ってください。私も医師の監督・指示の許で、数箇月に一度のペースで検査を受けて各種数値の変化や体調を見ながら、注射による投与を受けています。
「G-FRONT関西」というセクシュアルマイノリティのサークルのWebサイトに「ホルモンテキスト」という資料が掲載されています。幾分旧い記事ですが性ホルモンについての詳細があります。何度も読んで性ホルモンが人体にどのような影響をおよぼすのかよく理解した上で(勿論、これ以外の情報も併せ見て)、性ホルモン剤による治療を受けるか否かをよくよく熟慮してください。
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■G-FRONT関西
トップページ>資料集>ホルモンテキスト
VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)
VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)
VOL.6 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(3)
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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/