VOL.5 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(2)

 

 身体は全然痩せないのに歯茎は痩せてきた衛澤ですご機嫌よう。

 前回は「とりかへばや物語」という古典文学についてお話ししました。だいたいのあらすじをご紹介して、そこから「おれがあいつであいつがおれで」という児童文学、そして「転校生」という映画に繋がったのではないか、と私は考えています。
 では、「転校生」についてお話ししましょう。

 大林宣彦監督が1980年頃に撮りました「転校生」という映画を御覧になった方もおられるかと思います。御覧でなくてもどんなお話の映画かはご存知ではないでしょうか。
 男の子と女の子が神社の階段の上で揉み合って、一緒くたに階段の上から下まで転げ落ちてしまいます。その拍子に何故か入れ替わってしまう。
 男の子の身体に女の子の人格が、女の子の身体に男の子の人格が入ってしまいます。或るいは、男の子の身体が女の子に、女の子の身体が男の子になってしまったとも言えます。
 何を中心に見るかでその主体は変わってきます。このお話もいまとなっては物語でよく使われる人格交代劇です。

 男の子の名前は一男くん、女の子の名前は一美さんと言います。一美さんの身体を得た一男くん、一男くんの身体になった一美さんはそれぞれ身体の実家に帰って身体の人格を演じます。
 一男くんは一美さんを、一美さんは一男くんをそれぞれ演じながらもとに戻る方法を探すのですが、なかなか見つからなくて、しかしその間にも入れ替わっているせいで直面する困ったことが次から次へと……というお話なんですが、この「転校生」も前回お話しした「とりかへばや物語」も、ジェンダーとセックス、性自認と生物学的性、もっと咀嚼して言いますと、本人が認識している性別と身体の性別との齟齬・食い違いが問題になっているお話なのです。

 その二つの性、自認している性別と身体の性別との葛藤という視点から物語を読み解くのが、おそらく「転校生」という作品の正しい愉しみ方ではないかと思うのですが、その葛藤は決して簡単なものではないということは、物語に触れたみなさんがご自身でご理解なさることと拝察します。心と身体が食い違うのは困ったことだし苦しいしつらいと。

「とりかへばや物語」も「転校生」も、最終的には「もともとの自分」の状態に戻ることになります。その帰結を見たときに、おそらく物語の読み手、映画を見る人はほっとするのではないでしょうか。それは不一致であること・食い違っていることはよろしくない、困ったことだとお判りだからでしょう。
 この「身体の性別と自認している性別」が物語の中でなく現実に、およそ生まれたときから食い違っている・不一致であるのがトランスジェンダーや性同一性障害です。私のような人たちです。

 私は女性のかたちの身体を持って生まれてきましたが、現在46歳の私はこの46年のうちに「自分は女性である」と思ったことは一度もありませんでした。ずっと一美さんの身体を得てしまった一男くんのような、不便さや歯がゆさやつらさを感じて過ごしてきました。何とかしたいがどうにもならない、周りに相談しようにも端から信じて貰えない事情を、抱え続けるしかなかったのです。
「そんなこと言うけど、衛澤みたいに女性体で生まれてきた男性なんて、実際に男社会に入ったら女性としての地が出て「とりかへばや物語」の若君みたいに、もとに戻りたくなるんじゃないの?」と思う方もおられるかもしれません。

 しかし、よく考えてください。このコラムのタイトルに使われている写真に写っているのが私、衛澤なのですが、私は髪を伸ばして髭を剃ってスカートをはけば女性としてこの世で生きていけると思われますか?
 どうしてもできなかったので、いま私はおじさんなのであります。
 世の中には、できることとできないことがあるのです。そして、できないことは決してできません。

 異性の役割を演じるというのは、そうそう簡単なことではありません。私のような者が女性の振りをして、表面を取り繕って生活していると、必ず破綻が訪れます。その破綻は周囲の人との関係に多く表れますが、それ以上に本人の精神面にたびたび強く表れます。
 セクシュアルマイノリティにうつ症状を訴える人、また自殺を企てる人が一般の人よりも多いということは宝塚大学看護学部の日高庸晴教授の調査研究によって明らかになっていますが、それはこういう理由からでもあるのです。私自身もご多分に洩れずうつ病持ちで、精神障碍者手帳を発行して貰っています。

 主人公への感情移入が上手な人なら、「転校生」を見ることでトランスジェンダーや性同一性障害の当事者の葛藤や気持ちが判るかもしれません。それがなくても名作ですので、ご覧になったことがない方は一度御覧になっては如何でしょうか。
「転校生」は現代版「とりかへばや物語」と言えるかもしれません。

 次回はもう一度、平安時代に戻って別の作品を見てみましょう。

(つづきます)

 

Vol.1 はじめまして!

Vol.2 今回はちょっと長めに「わかやま愛ダホ!」

VOL.3 子宮の中の……?

VOL.4 一般書で知るセクシュアルマイノリティ−古典編(1)

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■衛澤 創(えざわ・そう)
和歌山市出身。文筆家。随筆・小説を主に書くが特に分野にはこだわらず頼まれたものを書く。
性同一性障碍者。足掛け15年かかって性別適合手術をすべて終え、その一方で性的少数者の自助グループに関わって相談業務などを行う。
性同一性障碍であると同時にゲイでもあり、「三条裕」名義でゲイ小説を書くこともある。
個人サイトに性別適合手術の経験談を掲載しているので、興味がある方はどうぞ(メニューの「記録」から)。
個人サイト「オフィス・エス」http://officees.webcrow.jp/