二人の夢をきっと叶えるために—
親鸞の心のふるさと、奈良県と大阪府にまたがる二上山のふもとに佇む浄土真宗西方寺(奈良県香芝市)から当サイトでしか買うことのできないラッキーアイテムです。紫色の広く誰でも受け入れてくれるデザインで、ポップなドット柄です。 大切な人への想いや、写真、記念の品などを中に忍ばせることもできます。
「すべての人がありのまま」ー
ダイバーシティをよみがえらせる男
「すべての人が同じく等しく」この親鸞の教えは「ダイバーシティ」(多様性社会)に引き継がれています。 親鸞とは平安末期となる承安3年(1173年)、京都にて、皇太后宮大進・日野有範(ありのり)の長男として誕生されました。4歳で父君、8歳で母君と死別され、9歳で出家されました。 その後、29歳の時に、京都・吉水の法然上人から教えを受け、「信心決定(阿弥陀如来の本願に救い摂られること)」なされました。 それを行動で示されたのが、当時、僧侶には固く禁じられていた「肉食妻帯」です。 「肉食」とは魚や獣の肉を食べること、「妻帯」は結婚すること。親鸞聖人は31歳の時に、「肉食妻帯」をなされました。それは、己の欲望のままになされた行動ではありません。非難を覚悟の上で、あえて公然と肉食妻帯をなされたのは、「僧侶も在家の人も、男も女も、老いも若きも一切の差別なく、すべての人がありのままで救われるのが本当の仏教である」ということを明らかにするためだったのです。この結果多くの迫害や嘲笑を受けましたが、「ただ、仏恩の深きことを念じて、人倫の哢言を恥じず」(教行信証) 〝そしりたい者はそしればよい、私は阿弥陀仏の御心のままに生きよう〟 との信念に生き抜かれ、90年の生涯をかけて「すべての人が同じくひとしく救われる」と説き続けられました。
浄土真宗(西)本願寺派 良福寺奥院
西方寺からの発信
二上山は五木寛之さんの小説にも登場する「神仏の山」。その麓にある当麻の里は『往生要集』を著した源信誕生の地といわれており、この地にいくつもの寺院が創建されていましたが、兵火や災害などで荒廃し西方寺のみが残ったと伝えられています。鎌倉時代には「人々の信仰のよりどころ」として発展しましたが、江戸初期、大和群山藩藩主・本多氏の菩提を弔うために勘定奉行西本諦順が西方寺に入寺し、浄土真宗に改宗して初代住職となりました。 現在は、第14世西本諦雄(辰雄)が住職を勤められています。「真実の生き方を見つめ、それぞれが光輝く人生を送ってほしいと願っています」。
価格は600円(税抜き)、購入をご希望の方は、こちらよりお名前・住所・電話番号・個数をご記入の上、送信ください。
良福寺奥院 西方寺のウェブサイト
http://nara-saihouji.net/