父の家に砂時計があった
初老のアッシェンバッハ教授は休養のためベニスにきました。
彼はホテルの部屋で、父親の家にあった典雅な砂時計を回想します。
「父の家に砂時計があった。砂の通る部分が細くて最初は砂がなくなっていくことに気がつかない。砂が少しも落ちないように見える。砂がなくなったことに気づくのはおしまいの頃だ。それまで、だれも、ほとんど気にしない」
砂を人生の持ち時間と考えれば、ルキノ・ヴィウコンティ監督の「生と死」の隠喩が明らかです。
若いときはだれも死ぬことなど考えもしない。そして自分の持ち時間に気づいたときは、ほとんど残り少ない。
この映画は終始一貫、「死と頽廃」のイメージに貫かれています。